UBS Perspectives 日本版 2012年 冬号 vol.10

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金融立国スイスの永き伝統を受け継ぎ、UBSは、今年150周年。

スイス・アルプス山脈のなかで、「氷食尖峰(ひょうしょくせんぼう)」と呼ばれるマッターホルンを背景に眺める日の出

1862年の前身企業の誕生から、150周年を迎えるUBS。
その永き伝統と信頼のバックボーンには、中世から発達してきたスイス金融業の歴史がある。
なぜ、険しい山岳に囲まれた小さな国が、世界の資本が集まる金融センターとなり得たのか?
「永世中立」などのキーワードをひもときながら、スイスのプライベート・バンキングの変遷とUBSの歴史を振り返る。

13世紀、ゴッダルド峠の開通で中世スイスが交易の要所に

地理的にヨーロッパの中央に位置するスイス。その発展の重要な契機となったのが、1220年のアルプス山脈を越えるゴッタルド峠の開通である。中央ヨーロッパの南北を結ぶ交易ルートとしてスイスは地形的に通過せざるを得ない要所となり、人や物品、情報が集まった。これに伴って、自然発生的に金や現金、有価証券等の預かりや両替などを営む商人が現れたのだ。2010年には世界最長の基底トンネルが開通するなど、ゴッダルド峠は今もヨーロッパ交通の中心的な役割を担う。国際的な金融立国としての地位を築いた現代スイスの礎は、13世紀に出来たと言える。
当時、現在の中央スイス地域は神聖ローマ帝国の支配下にありながら、険しい山岳に守られ、自由を享受していた。しかし、峠道の開通によって中央スイスが交易の中心となると、有力貴族であるハプスブルク家は流通ルートを寡占化しようともくろむ。1291年、住民たちとハプスブルク家の対立は深刻になり、ウーリ州、シュヴィーツ州、ウンターヴァルデン州の3地域は封建支配に抵抗し、自由と自治を守るために相互援助を誓約した。この「原初3邦」の同盟が結ばれた8月1日は、スイス連邦の建国記念日となっている。
その後、ハプスブルク家は同盟軍を攻めるが、1315年のモルガルテンの戦い、1386年のゼンパッハの戦いで敗れる。15世紀になると、"同盟"は加盟州を増やして連邦国家の体を成していく。1499年、ハプスブルク家出身の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世は旧領回復を狙って同盟軍に挑んだが敗北し、同年に開かれたバーゼル会議でスイスは事実上の独立を勝ち取った。

スイス人が傭兵として得た「外貨」と「ネットワーク」

当時、ヨーロッパ最強とされたハプスブルク家の軍勢を、スイス兵が壊滅させた事実は各国に知れ渡った。国土の大部分を山岳が占め、九州と面積はほぼ同じながら高低差が4,441mもあるスイス。アルプスの自然に鍛えられたスイス人は、兵士としての高いポテンシャルを備えていたのだ。山岳地帯を十数時間休まずに歩き続ける体力、雪の絶壁や氷の断崖を恐れない度胸、そして野生の獲物を一瞬でしとめる能力。領土拡張を狙い国家間の戦乱が絶えなかった中世ヨーロッパで、スイス兵には傭兵として各国から派遣の引き合いが押し寄せる。兵士は派遣先で衣食住をまかなえたため、給料の大半を母国の家族に送金することが可能だった。このニーズは、スイスの金融業を発展させるきっかけとなった。傭兵が得た報酬を両替する必要から為替が発達し、これを運用する必要から貸金業、マーチャント・バンキングが発展していったのだ。
15世紀にはフィレンツェの銀行が支店をジュネーブに開設。1425年にはコジモ・デ・メディチがバーゼルにおいて初めての銀行のひとつを設立。17世紀ごろには有力な個人銀行が次々に誕生した。傭兵の派遣は1874年に憲法で禁じられるが、この間、傭兵が全ヨーロッパに広げたネットワークは、その後のスイスの金融や商工業発展の礎となる。縦横につながった人脈や情報網は、大都市でのビジネスネットワークや銀行の国際決済システムの基盤となったのだ。


中世に生まれた「中立」の概念が、金融立国スイスの下地をつくる

16世紀、「中立」の始まりと宗教戦争

スイスを語る上で重要なキーワードとなるのが「永世中立」である。その概念の誕生も、中世にさかのぼる。ハプスブルク家との戦争の後、スイスの勢力拡大は順調に進み、1513年に同盟の加盟州は13州になっていた。しかし1515年にミラノを巡るマリニャーノの戦いにおいて、フランス軍に敗退するとスイス同盟は拡大政策を終え、フランスとの間に永久平和を締結し、中立と内政重視に舵を切っていく。
16世紀に西ヨーロッパ全域で宗教改革が行われ、キリスト教会がカトリック派と新教プロテスタント派に分裂すると、その影響はスイスにも波及した。都市と農村の間に対立が生じ、暴動が発生し、混乱が広がったのである。宗教戦争(三十年戦争/1618-1648)が始まると、スイスの両宗派には隣国から傭兵派遣の依頼が殺到する。しかし、スイス兵同士が戦う事態となれば、国内の宗教的対立がさらに激化してしまう。各邦の代表から成るスイス盟約者団会議は、国外の宗教戦争に対し、国境保全のために武装中立を宣言する。そして、宗教戦争を通じて中立と独立を維持した功績を列強から評価され、戦争終結条約(ウェストファリア条約:1648年)で、スイスは神聖ローマ帝国からの完全な独立を国際的に承認された。

18世紀、「中立国スイス」に人、資金、産業が流入

宗教革命時のフランスにおける両宗派の対立は、スイスの発展に大きな影響を与えた。カトリック派であるフランス本国政府の弾圧を避けて新教徒(ユグノー)が大挙してジュネーブに亡命してきたのである。ユグノーには中産階級が多く、銀行家などの商人や卓越した技術を持つ時計職人らが含まれていた。これが、スイスに有力な銀行が生まれ、ジュネーブに時計産業が発展する契機となったのだ。とりわけ、当時の最先端技術である時計やオルゴールといった精密工業は、外国からも有望な投資先と見なされ、スイスに多くの資金が集まるようになっていく。
18世紀、ヨーロッパで混乱が続く中、スイスの武装中立は全ヨーロッパの障壁として機能していく。ヨーロッパの富裕層は自国の不安定な状況から資産を守ることができる場所を求め、軍事的、政治的に安定したスイスに白羽の矢を立てた。フランス革命によって貴族が資金を持って亡命してくるなど、ヨーロッパに混乱が起きるたびに、スイスへの資金流入は続いた。こうして集まった外国からの資金を両替・管理・運用する必要から、スイスの金融業はさらに発展し、王侯貴族など超富裕層の資産運用・管理サービスに特化するプライベートバンカーが現れる。当時、金融業者が営んでいたのは、今日の会社組織の銀行ではなく、個人商店であった。この個人銀行(Privatebank)が、プライベートバンクの語源となったのである。1815年、ウィーン会議で『スイスの永世中立とスイス領土の不可侵性の承認と保証に関する文書』に周辺国が署名し、スイスの「永世中立」は国際法上からも承認され、国家としての信頼はより強固なものになっていく。

19世紀半ば、スイスのインフラ整備を機にUBSの前身企業が生まれる

ウィンタートゥール銀行

19世紀半ば、スイスの金融業は大きな変化を迎える。きっかけとなったのは鉄道建設である。イギリスに端を発した鉄道建設ラッシュはヨーロッパ大陸に広がったが、スイスはこのブームに乗り遅れた。当時、スイスは中央政府を持つ連邦ではなく、まだ「盟約者団」だった。主権は州(カントン)にあり、利害調整を要する鉄道建設の推進が困難だったのだ。しかし、日本の明治維新の20年前、1848年に連邦制度が採択され、現在のスイス連邦が成立するとインフラ整備は本格化する。鉄道建設や送電、および工業の拡張事業などは、莫大な投資により初めて可能となる。その資金を外国の銀行に依存する危機感から、スイス国内で資金調達ニーズが高まり、民間株主から集められた資本を持つ大銀行が誕生していったのだ。
現在のUBSは、スイス・ユニオン銀行とスイス銀行コーポレイションという前身二行の歴史の上に成り立っている。1862年には、このスイス・ユニオン銀行の前身として所在地の名前を冠したウィンタートゥール銀行が生まれ、地域の企業を積極的に支援していく。
一方、1872年にはスイス銀行コーポレイションの前身となるバスラー銀行がドイツとの国境沿いの町、バーゼルに誕生。鉄道建設への融資を行う一方、スイスの化学工業の中心地となるバーゼルの発展に重要な役割を果たす。150年にわたる永きUBSの歴史は、こうして始まった。設立当初にも富裕層の資産管理・保全を行っていた記録はあるが、両行の成り立ちは企業と取引を行う商業銀行であった。スイスの産業発展を後押ししながら、企業オーナーが豊かになるにつれ、彼らの個人資産の管理・保全ニーズが高まっていき、ウェルス・マネジメントは発展していったのだ。

スイス・フラン誕生。「政治」「経済」「通貨」の安定要素が揃い、スイスに世界の資産が集まる

スイス・フランが生まれたのは、スイス連邦成立の2年後、1850年である。当初は銀本位制の通貨として制定されたが、1876年にはフランスと同時に金本位制に移行した。
1906年にはスイス国立銀行が設立。産業の発達に伴うスイスの急速な経済発展とともに、二度の世界大戦の混乱を乗り越えて、スイス・フランは安定通貨としての地位を築いていく。スイスは1815年以降、紛争に関わらない「永世中立国」であり、地政学的に紛争に巻き込まれるリスクが限りなく低い。そして、経済的に安定し、国家として金の保有量も多い。こうした理由から、"金よりも堅い"と称され、スイス・フランは国際取引における決済通貨になった。
政治・経済・通貨という3つの安定要素が揃っていること。さらに、「銀行秘密」を国の法律で義務づけた秘匿性も手伝って、スイスは世界中の資産を引きつけた。第一次世界大戦で、オーストリア=ハンガリー帝国が滅亡すると新政府による財産没収を恐れた貴族や地主たちが競って資産をスイスに移す。その他の国の資産家たちも、戦時下での政府の財産統制や預金封鎖から自らの財産を守るために、スイスを資産の逃避地に選んだ。第二次世界大戦でもナチス・ドイツの略奪から財産を守る動きが活発になり、多額の財産が持ち込まれた。また、大戦後も共産主義の浸透を恐れたり、ハイパーインフレを逃れるために資金流入は続いた。
現在、スイスの銀行が管理する資産総額11兆3000億フランは、世界の総資産の約10%を占め、世界第3位であるが、外国の個人顧客の資産管理業務においては世界一を誇り、その額は世界市場の27%を占めている。
*ボストン・コンサルティング・グループ、2009年調べ


独自の国際的地位を築いたスイス。その発展とともに、UBSはグローバル金融機関へ

スイス三大銀行の二行に成長したスイス・ユニオン銀行とスイス銀行コーポレイション

1912年には、ウィンタートゥール銀行とトッゲンブルガー銀行が合併し、スイス・ユニオン銀行(旧UBS)が発足。1945年にはスイスの大銀行のひとつであるアイジェノシシュ銀行を買収。スイス全域に足がかりを広げながら、ひとつの統合された銀行として、個人顧客の資産管理、企業のための商業銀行として事業を展開し、1962年には資産規模でスイス最大の銀行となった。海外にも順次拠点を開設、1986年には伝統ある英国の証券会社フィリップス&ドリューを買収する。一方のバスラー銀行も、チューリッヒ銀行及びシュヴァイツェルリッシュユニオン銀行との合併を経て、1896年にスイス銀行コーポレイション(SBC)に名称を変更。1898年にロンドンに最初の海外拠点、1939年にニューヨーク支店を開設するなど二大金融センターにいち早く進出し、スイス・ユニオン銀行同様にユニバーサル・バンクとして発展を遂げていく。1990年代には米国のオコナー&アソシエイツ、ブリンソン・パートナーズインク、英国のエス・ジー・ウォーバーグなどの名門金融機関を買収・合併し、その国際的な存在感は高まった。そして、1998年、スイス・ユニオン銀行とスイス銀行コーポレイションが合併し、生まれたのが現在のUBSである。スイス・ユニオン銀行の略称であったUBSを名称とし、企業のシンボルとなるマークにはスイス銀行コーポレイションの三つの鍵マークを引き継いだ。UBSはその後も、2000年にアメリカの大手証券会社であるペインウェバーと合併。スイスで生まれた金融機関でありながら、世界中の金融機関と合併を繰り返し、真のグローバル金融機関となったのだ。

国際都市の座を揺るぎないものにしたスイス

スイスは中立国としてキューバ・アメリカ間やイラク・アメリカ間など、国交のない国同士の双方の利害を調整するため、しばしば国際政治の中で調停役を担う。さらに国際的な会談や会議に場を提供し、過去には旧ソビエト連邦のミハイル・ゴルバチョフ書記長とロナルド・レーガン米大統領、ビル・クリントン米大統領とシリアのハーフェズ・アサド大統領の歴史的な会談もジュネーブで行われた。今も、スイスのジュネーブには政治的に偏りがなく、中立な立場で議論できることから約200の国際組織が集結している。1920年、国際連盟の本部が設置(現在は国際連合事務局)。この他にも世界保健機関(WHO)、赤十字国際委員会(ICRC)、世界貿易機関(WTO)などの国際機関の本部・事務局が置かれている。また、金融の中心地であるスイスは金融に関わる国際的な審議会や専門機関に積極的に参加し、国際金融市場の安定を図るために力を尽くしている。187カ国が加盟する国際通貨基金(IMF)の議決グループの長を務め、24カ国が加盟する金融安定理事会(FSB)では金融安定にかかわる問題や金融市場の規制、監督といったテーマに取り組んでいる。また、各国の中央銀行間の協力を推進する国際決済銀行(BIS)の本部もバーゼルに置かれている。スイスで生まれ、現在では世界各地に拠点を擁するグローバル金融機関、UBS。その根底には、スイスという国が培ってきた世界からの揺るぎない信頼がある。

第一次世界大戦および第二次世界大戦でも中立を守り通した
スイスには、多くの国際機関の本部が集結している。

150年の伝統に裏付けられた信頼を、これからも日本のお客様へ

19世紀以前のスイスは、農業国として決して裕福ではなかった。UBSが歴史を刻んでいく150年の間に、今日の金融立国としての地位を築いてきたのだ。19世紀から20世紀にかけて、世界経済の激変を幾度も乗り越えながら、驚異的な経済成長を遂げてきた姿は日本と重なる。両国の共通項はそれだけではない。他方は四方を山岳に、他方は海に囲まれた国家である。そして、天然資源に恵まれないものの、規律を重んじる勤勉な国民の気質で産業化を果たした。UBSは欧州系の銀行としてはいち早く、1964年に日本拠点を開設し、日本に根を下ろしてきた。
UBSウェルス・マネジメントは長い歴史を持つ世界に希有な金融機関として、これからも、日本のお客様に信頼に裏付けられた卓越したサービスをお届けしていく。

注:上記は主だった大型の買収・合併のみを記載しており、上記以外にも小型の戦略的買収を行っております。

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